Football World Column 加部究の『神様のシナリオ』

Football World Column 加部究の『神様のシナリオ』

 

 

文:加部究 神様は突然、誰も想像できないようなシナリオを描く!時には歓喜に満ちあふれるような奇跡を、そして時には静寂を生み出す残酷な現実を。ここに、サッカー界に描かれた『神様のシナリオ』を綴る! 『相馬直樹1998〜肌の記憶〜』254分目のゴール

Football World Column

 

 しかし一方で皮肉なことに日本の初ゴールもまた、相馬の疲労が生み出した産物とも言えた。左サイドの高い位置で名波浩からのパスを受けた相馬は、すかさず切り返して右足に持ち替えている。1人かわせば左サイドを抉り味方に決定的なパスを通すことが出来たかもしれない。それが最も得点に繋がる形、サッカーの世界では通説となっている。だがこの時の相馬は、簡単に縦に仕掛けるという選択肢を捨てた。
もう走れる状態ではなかったから迷わず?
そう尋ねると、相馬は「たぶん」と頷き、続けた。
「勝負して失うよりは、と考えたんでしょうね。ちょうど顔を上げた瞬間に呂比須(ワグナー)がプルアウェイ(ディフェンダーの視野から消える動き)をした。もしそれがなければ足もとへ出していたでしょう。いずれにしても、僕のクロスは狙い通りでした」
 呂比須はクビをひねって頭でボールを叩く。ゴールの枠の前を横切るようなボールだったが、飛び込んできた中山が合わせて、日本はワールドカップ254分目にしてようやく初めてのゴールを挙げた。
「本当は呂比須が決めるべきボールでしたけどね。でも僕としては会心のクロスでした」
 相馬は、思わぬ方向に飛んだ呂比須のヘディングを「ノールックパス」と笑みを添えて揶揄した。文字通り一矢は報いた。だが3戦全敗、過去に例がないほどの疲労をたっぷりと引きずり帰国した相馬は「ワールドカップについては、引退するまで話しませんよ」と宣言する。
今、肌に感じたままを言葉にしたら、風当たりが強くなる。そんな気がした。

 1992年秋、カタール・ドーハで集中開催された米国ワールドカップ・アジア地区最終予選をテレビで見ながら、既に相馬は「次の大会はオレが代表になってフランスに行く」と決めていた。
 本番に強い系――。
 昔から自分のことを、そう信じてきた。与えられたチャンスはことごとく生かしてきたという自負がある。早稲田大学在学中に参加したバルセロナ五輪最終予選、日本は初戦で守備の要だった石川康が故障するアクシデントに見舞われたが、慣れないリベロのポジションを見事に埋めた。鹿島アントラーズでも、ルーキーながらスタメンを確保。日本代表も95年に招集されてからは、ほぼレギュラーの座を譲っていない。もちろん過去を振り返れば挫折と呼べるものもあるにはあったが、順風満帆で強運を備える自分が失敗する光景を、あまり想像することはなかった。

 

※この作品は『VS』2006年に掲載されたものです。