Football World Column 加部究の『神様のシナリオ』

Football World Column 加部究の『神様のシナリオ』

 

 

文:加部究 神様は突然、誰も想像できないようなシナリオを描く!時には歓喜に満ちあふれるような奇跡を、そして時には静寂を生み出す残酷な現実を。ここに、サッカー界に描かれた『神様のシナリオ』を綴る! ドーハの悲劇 コンプレックス

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 W杯にそれほどの拘りはなかった。世界中にはW杯に出られなくても素晴らしい選手たちが溢れている。ただ自分を育ててくれた日本への恩返しとして、日本代表をそこへ連れて行きたい。
 ラモスは、ただそう願っていた。
 1977年、ジョージ与那城に誘われて来日し、89年に日本国籍を取得した。早速翌年には日本代表に選ばれるが、当時は「チームの半分以上が韓国にコンプレックスを持っている」状態で、とても現実的にW杯をイメージすることは出来なかった。下手をすると、韓国には一生勝てないかもしれない、とさえ思ったほどだ。
 だがJリーグ開幕を引く年に控えて92年、初めての外国人監督としてオランダからハンス・オフトがやって来ると、チームは瞬く間に変貌を遂げる。オフトはプロ意識について説き、代表チームの何たるかを熱弁し、選手たちに自信を植え付けることで、アジアの列強に対するコンプレックスを拭き取っていった。

「サッカーは技術だけじゃない。やっぱり日本代表として戦うには、相手を潰さなければならないこともある。プロ(Jリーグ)も出来るし、もう言い訳は許されない。目の前のチャンスを生かさなければ後悔するだけだぞ、ってね。それは僕が言いたいことと、まったく同じだった」
 それまでは韓国のラインナップを聞くだけで「ああ、またアイツが出てくるのか」と怖気づく選手がいた。ラモスは、そんな光景を腹立たしく眺めていた。

「だって日の丸をつけたら、相手が誰なのかは関係ないよ。ペレでもマラドーナでも、まったく関係ない!」
 オフトもそれを伝えたかったのだろう。ダイナスティカップ(東アジア選手権の前身)の韓国戦を前にして、メンバー表を読み上げるや否や、その紙を破り捨てる。まるで破れた紙が風で飛び散るように、そこから日本の低迷も雲散霧消していった。
 オフト率いる日本代表は、夏にダイナスティカップ、秋にはアジアカップを制し、次々に新しい歴史を開拓していく。一方で3度の欧州遠征では、代表ではなく敢えて地元のクラブとの試合を重ね、国の威信を賭けた正真正銘の戦闘に備えた。

「僕らにも日本代表としてのプライドがある。最初は、なんでこんなチームとやらなければいけないの?と思った。でもだんだんわかってきた。オフトは教えたかったんだね。我々を待っているのは、こういう戦いなんだ、って」
 オランダ、イタリア、スペイン…、いずれも荒れたピッチで、汚く激しい相手と戦った。さすがに故障をすると代替の利かないラモスは免除されることが多かったが、他の選手たちは痛み傷つきながら逞しさを増していった。
「みんな厳しさを身体で覚え、精神的にも肉体的にも強くなった。僕はあまり出て行かなかったので可哀想だとは思ったけど、やっぱり必要な経験だった。あれがなくて、いきなりドーハに臨んだら、たぶん戦えなかっただろうね」
 93年2月のイタリア合宿を回避したラモスは、日本に残りフラビオコーチの下で理想的なコンディションを作り上げる。1次予選を順調に勝ち抜き、最終予選直前のスペイン遠征では、対戦したベティス(当時はリーガ2部、翌シーズンに昇格して旋風を巻き起こす)から真剣に誘われるほど素晴らしいプレーを見せた。そしてスペインから帰国すると、東京・国立競技場でコートジボアールを破りアジア・アフリカ選手権を制覇。大きな自信とともにドーハ入りをするのだ。
「W杯最終予選だから楽な試合はない。でもこのチームだったら絶対にW杯に行ける。どこかに引き分けることはあったとしても、負ける気はしなかった」

 

※この作品は『VS』2005年12月号に掲載されたものです。